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道場の戸をくぐることが最難関

師匠を始め、他の多くの黒帯の有段者が、昨晩道場に顔を出した私にかけてくれた言葉です。  私は 2007 年の 1 月に肩を負傷し、5 月に脚を骨折して、夏中、松葉杖を使っていました。  皮肉なことに、私たちは 2006 年 10 月の世界空手トーナメント (英語) に勝利したのですが、去年の夏のカンファレンスでスクータに乗っている私 (英語) を見た人にはわかるはずもありませんね。  やれやれあーあ。(そう、それぞれ別のアドベンチャーへのリンクになっています (英語))。

 

ワンポイント経由で私のブログを見てくださった皆さんのために説明すると、私は 14 才から松濤館流空手 (JKA および FSKA) を修行しています。  そこで、ブログ作成者として、空手や、空手を修行する理由 (戦いのためではなく、技のためです)、空手から得たものについて語るために空手フィードを始めました。

 

怪我をしている私は稽古の始めと終わりの儀式で立っていなければなりませんが、こんなことは今まで一度もありませんでした。その儀式では全員が正座をして、短い瞑想をし、クラスの目標についての講師の話に耳を傾けます。  私の足は 60 ~ 70% しか回復していないので、まだ長い道のりがあります。でも、道場の戸をくぐるという最難関の部分は通過しました。

 

去年私が習得した最も重要なことは、空手 (またはそのためのすべての訓練) は鍋の湯のようだという松濤館流の創立者の言葉です (個人的に少し補足しました)。  蒸発していつか何もなくなってしまうから沸騰させてはいけない。つまりしゃかりきになると、足を骨折したり、肩を負傷したりするような結果になります。一方、湯をさましてしまってもいけない。したがって、節度を保って修行する必要があるのです。私は今度こそこれを習得することを誓います。

 

では、そろそろ仕事に戻ります。

 

投稿 : 2008 年 2 月 12 日 (火) 11:19 AM saraford

Sara Ford さんの Web ログ - https://blogs.msdn.com/saraford/archive/2008/02/12/walking-through-the-dojo-door-is-the-hardest-part.aspx  より。