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ちょっとひと言

原罪でしょうか

David Platt

David Plattクライアントに印象付けたいときは、Harvard Faculty Club へ食事に連れて行きます。ここは、メンバーの一部に下品な人がいるのを除けば、すばらしい場所です。数年前に起こしたあの不幸なシャンデリア事件も、クラブは寛大に水に流してくれています。その後、クライアントを連れてキャンパス ツアーを行います。私がビデオ スタジオに異動になるまで数年間教員をしていた Harvard Science Center も案内します。

Science Center のロビーには、世界初のプログラミング可能な汎用計算機と広く見なされている、歴史的な Harvard Mark I 計算機 (図 1) が置かれています。この計算機は純粋な電気制御ではなく、電気機械式制御で動作し、命令は紙製のテープを使って入力しました。Mark I は、第二次世界大戦終結の約 1 年前、1944 年 8 月に納入されました。

The Harvard Mark I calculator was used in the design of the atomic bomb dropped on Nagasaki.
図 1 Harvard Mark I 計算機は長崎に投下された原子爆弾の設計に使用された

展示の説明はこの大学の教育水準からしても退屈なもので、この世界初のコンピューターのまさに最初の仕事がマンハッタン計画の一環として爆発を計算することだったという事実は少ししか触れられていません。Mark I を扱ったプログラマは、第二次世界大戦終結の 1 年後になってようやく、長崎に投下された原子爆弾の設計がこのコンピューターによって促進されたことを知りました。

原爆投下が第二次世界大戦を終結させた事実は無視できません。それを史上最悪の戦争犯罪と考えるならば、ドイツが立派にも死の収容所を保存し、日本が残念ながら何も残していないように、この機械は災いをもたらしたテクノロジを思い出させる恐ろしい遺産として保存する必要があります。一方で、海兵隊軍曹として進軍した沖縄で重傷を負った歴史家の William Manchester は次のように記しています。「日本本土侵攻がなされた場合に失われたであろう命、莫大な米国人の命とそれを数百万も上回る日本人の命を考えれば、原爆に感謝するだろう」(『回想太平洋戦争』、コンパニオン出版、1984 年)。Manchester と同意見の場合、世界には原爆ほど多数の生命を救った発明はほとんどありませんし (ただし Turing のエニグマ解読機 bombe (bit.ly/2KB0x、英語) は別です)、祭壇のような展示にするべきです。

現在の展示はそうなってはいません。仲間の専門家に見せるには興味深い遺物です。当時からどれほど進歩したかを考えて笑い合います。こんなに大きい筐体の機械には、現在私が使っている歯ブラシほどの計算能力もないのです。それから、クライアントと私はその場を後にして、仕事の報酬について話し合います (この時間が好きです)。

ハーバード大学は大きな教育機会を逃しています。おそらく、ハーバード大学は Larry Summers が学長だったときに懲りて、これ以上議論に巻き込まれたくないのだと考えられます。

私は夜間授業を終えたあと、ときどき Science Center に立ち寄り、Mark I を眺め、原爆のことを考えます。投下する必要はあったのでしょうか。そもそも、開発する必要はあったのでしょうか。私は Harry Turtledove が執筆した、ナチスが先に原爆を開発した世界を描いた歴史改変 SF『In the Presence of Mine Enemies』(Roc、2004 年) を読んでいます。この本で Turtledove は「荒廃したフィラデルフィアで使い捨ての囚人に掘り出させた、変形し、放射能の残留する自由の鐘を、分厚いガラスの向こうに」収容しているベルリンの博物館を描いています。この Harvard Mark I を実行した男女 (この計算機の 3 人目のプログラマは Grace Hopper という女性) が原因の一端ではありますが、この時間軸は実現しませんでした。この話を気に入って、私は眠ります。それでも、私の悩みは尽きません。

J. Robert Oppenheimer は最初の原子爆弾を製造した Los Alamos 研究所の所長でした。彼は後年、当時のことを次のように記しています。「余分な下品さ、ユーモア、誇張が何もないありのままの意味で、物理学者たちは罪を知っていました。それが、失ってはいけない認識だということもです。」

深夜、学部生が iPhone を片手に笑いながらビールや異性を探してさまようころ、Science Center は照明が落ちて静まり返ります。私には、Mark I のリレーのカタカタという音が聞こえます。ずっと前に死んだオペレーターからの来ることのない HALT 命令を待ち続けて、幻の計算を繰り返しているようです。私は IT 産業の原罪のかすかな残響を聞いているのでしょうか。

David S. Platt は、ハーバード大学の公開講座や世界中の会社で .NET のプログラミングの講師をしています。『Why Software Sucks...and What You Can Do About It』(Addison-Wesley Professional、2006 年) や『Microsoft .NET テクノロジ ガイド』(日経BPソフトプレス、2001 年) などの、11 冊のプログラミング関連の書籍の著者でもあります。2002 年には、マイクロソフトから Software Legend に指名されました。David は、8 進法で数える方法を学べるように、娘の 2 本の指をテープで留めるかどうか悩んでいるところです。連絡先は rollthunder.com (英語) です。